搾取される最大の理由...それは怠惰です

 怠惰と書いてしまうと多少の誤解を招きそうですが恐れず書きます。

 

 ここでいう怠惰は働かないことではなく、自分の頭で考えてないことです。


  大半の人は俺は、私は会社に勤め労働しているんだから怠惰ではないと否定するでしょう。事実、主任研究員も若い頃は『俺は良く働いている』と勘違いしていたものです。しかし労働というのは所詮、人から言われた作業を淡々とやれば出来るものです。しかしそれでもまだ、自分は自分で考え足で歩き営業などをして仕事を取ってきているという人もいるでしょう。しかし問題の本質はそこではありません。

 

 マルクスの資本論では、労働者は自分の労働力、時間を資本家に差し出すことで賃金を得ることとあります。そして資本家は労働者の労働力と時間を商品として買い取り、それを商品の生産にあてたり、提供することで会社としての利益を得ます。しかしこの時、労働者の時間と労働力の対価と、消費者に提供する商品の売り上げが等価では資本家はプラスマイナスゼロのため、資本家はこっそりと労働者から必要時間分以上の労働力と時間を搾取し、商品を生産しているのです。

 

  ※資本論では、資本主義の階級として大きく分けてブルジョワジー(資本家)とプロレタリアート(賃金労働者)に分かれるとあります。(地主農家や現代の自営業、士(師)業なども外れる)

 

 故に自分の力と考えで労働してると思っている人ほど、資本家にその自分は怠惰ではない、働いているという心理を利用され、より搾取に気づいていないものなのです。

 

 この世の中で金を得る方法で最も楽なものが、自分の時間(生命時間)と労働力を資本家に売ることが一番手っ取り早い方法なのです。プロレタリアートにはむしろそれしかないけど...。

 

 そして会社で労働すること自体が搾取されていることであり、それに気づかず、踏み込んで考えず、逃れようと努力しないことこそが怠惰なのです。働いているかどうかではなくマインドの問題なのです。

プロレタリアートの怠惰は学生時代から既に始まっている

 法律上は全ての権利は平等を謳われてはいるが、生まれてから不公平だらけの世の中で、本当に唯一無二の平等な権利、それは24時間という与えられた時間です。支配層(資本家)の人間はその24時間という時間を使って学生時代から成功した後の現在も努力を継続しているのです。

 

 それは大都市なら小学校受験から中学、高校、大学受験までの勉強です。 

 

 

 現在プロレタリアートの多くは、学生時代から、それこそ極端な話『単車、ディスコ、喧嘩、煙草、町の女達』、『奴ら単車連ねて走る、空っぽの頭で』ばかりで、かつ将来の支配層になるであろう真面目で優秀な生徒をガリ勉などと馬鹿にしていたことでしょう。差は広がるばかりです。

 

 

 最終的には高校受験です。ここで偏差値の低い職業高校へ行くか、偏差値の高い普通科・進学校へ行くかでほぼ決まります。進学校なら大学への道が開け、より良い高校ならそれこそ旧6帝国大学、有名・名門私立へ進学し、支配層への道が見えてきます。高校受験がほぼ最後のチャンスでした。貧乏でも地方なら公立の進学校は沢山あります。24時間を有効に使って勉強したか、否かです。

 

 

 そして社会に出て完全に立場は逆転、がり勉君たちは支配層、ヤンキーたちはプロレタリアートになりました。(今も気づいてませんが…)。田舎の小中学の同窓会で再会し、いまだに当時のヒエラルキーのまま自分たちが上だと勘違いしているプロレタリアートもいて喧嘩になることもあるとかないとか…。

 

労働讃歌は資本家(支配層)が仕組んだもの

 本人たちの努力か、怠惰により、支配層に作り出された、受験という、極端に言うと将来のブルジョワジーとプロレタリアートを選別するためのふるいに掛けられ、そうしてプロレタリアートは洗脳、生産されていきます。

 

 『働かざる者食うべからず』

 

 『日本国憲法第27条 すべての国民は勤労の権利を有し、義務を負う』

 

 まじめに働いていればいつかいい日が来る。労働者は社会を支える、一番重要な土台だの基礎だのと、賛美され、選別された学生時代からいつの間にか洗脳されていきます。

 

 また選別された後の学生時代では同じような偏差値、教養、知性の人間ばかりが集団になっているため、偏差値の低い学校ではずっと低いままだが、高い高校では教養、知性は伸びていきます。都会の私立なら親自体が金持ちなのでコネクションは末広がりです。


 よく回りを見てみましょう。ヤンキーや輩のツレはヤンキーや輩、金持ちの友人は金持ちばかりです。類は友を呼ぶ。人は人により引き上げられたり、引き摺り降ろされたりするものなのです。

 

 すなわち労働讃歌は支配層には当然都合いい洗脳、かつプロレタリアート的にはもはや逆転できない階級差を嘆かないための自己慰めに過ぎないのである

諦めるか、これから少しの努力をするか

 過ぎ去ってしまった時間は取り戻せませんし、それによって差がついたものもなかなか取り戻せません。しかし『諦めたらそこで試合終了だよ』で諦めて時間の切り売りの労働給与だけでスマホでゲームだけして生きるか、スマホを使ったほんの少しの努力で副収入を得てわずかでも望みを残すかまだ間に合います。  

 

 このサイトでも紹介している様々な方法を実践することもいいですが、労働者としてまずマインドを変える最初の方法は… 

 

 それは自分の会社が株式を公開している会社ならその株を買うことです。それはなぜか。会社が潰れればどうせ会社員としても失業、その株も無価値になる。リスクは同じなんです。ならばまず自分の会社の株を買うことをお勧めします。また株を持つことは会社への出資です。自分も出資者の一部、株主総会への出席、議決権の行使が出来ます。一社員では経営陣と会うこともままならないですが、出資者の一人となれば話は違います。また自分があげた利益はいずれ株主配当として入るならば資本家の単純搾取にはなりません。社内でも嫌な上司相手に威張ってもいいんじゃないでしょうか、俺は出資者だとね(笑)。

 

 搾取からの脱出は、自分の立ち位置の客観視と、マスコミを通して流れる、テレビ、新聞の視聴、購読者の大多数を占めるプロレタリアート層の支配層・金持ちへの嫉妬を掻き立て利用する情報からの解放、自分のマインド、エモーションコントロールから始まります。

 

 スマホ一つで出来るのに諦めてゲームしますか? 

 

 スマホで少しの努力で搾取からの脱出を試みますか?

 

   

    どうするかはあなた次第です!!